最近、自分の地元周辺でも、子どもにプログラミングを教えようという試みが結構見られます。 (参考)中学・高校生パソコンプログラミングRuby入門講座 | イベント・セミナー情報 | おかやまコンテンツスクエア~企業とクリエイターを繋ぐポータルサイト~ (参考)「パソコンに指令する感じ」,中学生向けRuby講座,まちづくり三鷹が開講 – ニュース:ITpro どうせ『国産』というだけで、Ruby を選択しているのかなとも思いますが、日経 BP の PC オンラインに掲載されていた以下の記事を読んで、少し考えてみました。 天才ハッカーが生まれるには:三輪信雄「ここが変だよみんなの対策」 実は、最近知り合いに「小学生の息子にiPhoneのアプリを作らせたいんだけど無理でしょうか?」と聞かれて、私は即座に「それは無理ですね。大人でも難しいのですから」と答えてしまいました。オブジェクト指向言語は素晴らしい言語ですが、その概念を理解して、横文字だらけのプログラミングなんて到底無理だろうと思ったからです。 でもキャンプでの子供たちはロクに英語も分からないはずなのに、Linuxのコマンドの英語のヘルプを普通に読んでいましたし、プログラミング言語を複数習得していました。 このような話題をTwitterでつぶやいたところ、その方は、小学校5年生くらいからBASICやマシン語をやっていたという話を頂きました。ちなみに、私の知り合いの米国人のハッカーは、8才のクリスマスに親からMacを買ってもらったのが始まりで、すぐにCでプログラムを書き始めていたと話していました。小さいころに親がパソコンを買い与えるというのはアメリカでは珍しいことではないそうです。でも、買っただけでなく、友達や親が手助けしないと途中で挫折したり、興味を失ったりするかもしれません。 この話をある方としていたら、「町の将棋クラブのようなものがあるといいね」ということを聞きました。つまり、いつでもそこに行けば大人も子供もいて、対戦できたり教えてもらったりできる場所があるから、興味のある子、素質のある子はどんどん伸びるのだと。確かに、プログラミングは楽しいものですが、途中で分からなくなってしまって、そこから抜けられないといやになってしまいます。もし、町にパソコンクラブのようなものがあっていつでも勉強できるなら、どんどん伸びることでしょう。 実は、僕の年齢でも、小学校・中学校ともに、パソコンがない学校はありませんでした。小中、合わせて複数の県にまたがって、5 つの学校に行きましたが、いわゆる「パソコン」がなかったことはありません。いつでも触らせてくれたかどうか、という部分では差がありますし、今ほど容易にグラフィカルなプログラミングができたわけではないので、比較できないかもしれませんが、少なくとも当時から「プログラミングができるやつ」というのは、多くの学校に存在しました。 「ITの動きは速い」というだけで片付けるだけなら簡単ですが、これからの時代というのは、情報を如何に選別するか、というプロセスを、どうやって子供に伝えていくかが要だと思います。どうやったらグラフの要点を意図した通りに伝えられるかと行った、情報操作の小手先のアイデアを伝えるのではなく、そうした事例をどうやったら大量に知ることが出来るのか、というほうが重要だと思う。(この教科書は、奥村先生が読んだらどう反応するのでしょうか)
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教育という言葉
教育とか、その筋の人でないと、なかなかイメージできないと思うんだけど、久しぶりに会った先輩と話しててやっぱり重要だなぁと思った。 組織なんて、十人十色の人が勝手に集まっただけなので、うまく動くこともあれば、いつまでも同じことしかできない人かもしれない。それは運かもしれないけど、会社組織とかになると、そこに教育とかの意識は必要になるかもしれない。まぁ、自分はあくまでも経営者ではないし、えらそうなことは言えないけど? まぁ、「あなたの為だから」と言ってる CM を思い出しました。 素人がやると、往々にそうなるんじゃないかなぁ。
大学のこれから
先日、WBS で、芝浦工業大学のエスアイテックや、Route H の紹介をしていました。大学が、少子化の中で、学生集めに限界を感じていて、ほかの収入源を探したり、定員の削減を行ったりしているとのことです。 個人的には、多くの大学ですでに行われている生涯学習に対する取り組みが、今後どうなっていくのかということに興味を持っています。「リカレント教育」自体の考え方は、高齢社会の日本でも結構普及しているとは思うのですが、まだまだ大学の取り組みは不完全なのではないかと思っています。 岡山県でも、生涯学習ポータルや岡山大の公開講座などがあります。ほかにも、私立大を中心にいろいろ取り組みはあるとは思うのですが、どれも内容的に中途半端な印象です。広く浅くなのでしょうが、もちろん、教育機関が学生として受け入れるわけではないですし、講座の聴講生にどこまで強制できるのかと言う根本的な問題もあります。しかし、もっと体系だてて勉強したいと思ったときに、科目等履修生や社会人学生などにならなくても、もっと手軽に知識を身に付けたいという欲求はないものなのでしょうか。 社会に出て痛感するのは、自分からかなりのパワーを使って積極的に動かない限り、教育現場からは離れる一方なのだということです。まぁ、社会人がみなそう思っているかといわれるとそうでもないし、大学の収入源となるかといわれると難しい気もしますが。